こんばんは。昨日の夜に浦和の実家から鵠沼に帰ってきました。行きたいところにも行けて、やりたいこともやれて、とっても充実した2日間でした。
ここのところ、家族に対してよく使うフレーズがあって、これをわたしは魔法のフレーズと呼んでいるんですが、最近、ことあるごとに、「これが最後かもしれないんだよ!?」と連呼しているのです。
というのも、わたしの両親は大阪出身なのですが、今年いっぱいで、大阪に戻ることになったのです。大阪に戻るということは、浦和の実家がなくなるということでもあります。月一ペースで実家に帰っていたわたしにとってこれは一大事。なんだか勝手に、実家ってずっとそこにあるものだと思っていましたが、それが当たり前ではないんですねえ。
なんなら父はもう一足先に大阪に拠点を移しているので、母は埼玉、姉は千葉、わたしは神奈川と全員ちらばっていて、だから4人集まるのがとても貴重だと感じるようになりました。
そこで出てくるのがあの魔法のフレーズです。みんなで行きたいところや食べたいものがあると、ここぞとばかりに、これが最後かもしれないんだよ!?と言ってお願いするのがお決まりになってきました。半分冗談で、半分本気です。益子の陶器市もこのフレーズのおかげで4人で行くことができました。特に母には効果てきめんです。姉は結構手強く、なかなか魔法にかかってくれません。笑。
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そんなことをしていて気づいたんですが、毎度そんなやり取りをしているおかげか、その時その時の瞬間を楽しめるようになった気がします。
本当に最後かもしれないと思うと、今を楽しむことにとことん集中するみたいです。実際、益子の陶器市に家族で行くのは、これが最後だったんでしょう。毎年お正月には近くの神社にみんなで初詣に行ってましたが、あの神社に家族で行くのは今年の1月1日が最後だったんでしょう。浦和で4人が集まるのも、もう数えるほどしかないんでしょう。
だから、4人でいる時間を楽しむと決めるんです。そしたら、いつもよりちょっとだけ穏やかになれます。いつもだったら機嫌が悪くなるようなことだって、途端に気にならなくなります。
せっかくお出かけしてるのに大雨が降っていたって、震えるほど寒くったって、靴が浸水して濡れて気持ち悪くったって、注文した料理がなかなか届かなくったって、そんなことは全くもって大したことではないのです。そんなしょうもないことに気を取られている暇はないのです。そんな感覚になります。不思議!
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「これが最後かもしれない」なんて、考えてみたら全てのことに対していえることですよね。いつどうなるかなんてわからないんだから、いまの状況を当たり前と思わず、常にその瞬間をかみしめていたいものだと思いました。ではまた!
その瞬間を噛みしめるって本当に大切だよね。
もう今は無いのだから。合宿でみんなに出会ってそう気づき毎日大切に過ごせるようになったよ。
りょうこちゃんのブログでまたハッとさせららたよ。
ありがとう〜。ありがと〜。
はるちゃんありがとうー!
うんうん、とっても大切なんだけど、時間が経つとついつい忘れちゃったりするから、ちょっとずつ積み重ねて積み重ねて、自分の中に定着させたいよね♪
ありがとう〜。ありがと〜。って久々!懐かしいなあ。
あ−!はるちゃんの生声で聞きたいわー!!笑